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ピンクの貝殻を [Runko]

 貝殻.jpg

乾いたTシャツを持って息子の部屋に入った。

「のぶちん、どうそっちは?」私が語りかけるのは一枚の写真。

ベッドに横になると、必ず目に入るところに置かれていた。


ある日の午後 携帯が鳴った。「母さん、のぶちんが死んだ」

息子は落ち着いていた。信じられない気持ちの方が強く、私たちの会話も何故かぎこちなかった。

夫に知らせた。「うそだろ。何でだ・・・・」 泣いていた。


のぶちんは小学校からの幼なじみ。7人の幼馴染の一人。

彼らは、実に仲が良かった。我が家にもよく遊びに来ていた。

夏は欠かさず摂津峡で裸のダイビング、母校の中学のプールに深夜に忍び込み、泳ぐ。 

野球部VSサッカー部のフットサル。冬には長野や北海道へスノボー。

やんちゃは2年前くらいまで続いていた。


たまに息子に時間があると、私たちは語り合う。

「最近は、みんなそれぞれに忙しくなって、結婚するヤツに、やりたい事をあきらめてしまったヤツに、何かで顔を合わせてもその時は盛り上がるけど、日が合わなくて、またな・・となってしまう。               仕方ないことやけど。」 「そうね、今は大人になって来て、生活することに精一杯なのかもね。きっとまた何十年かしたら、あの時のように・・・の時が来るんじゃない?」

「母さんが驚くほど、心が病んでるヤツ、多いで。。」

そんな会話をしたのが一週間前だった。 生き方を問い続ける若者はどの時代も多いに違いないと思いながらも、のぶちんが、何故この世に別れを告げたのか。何故という言葉しか見つからなかった。


平凡なサラリーマンの夫だけれど、息子の友だちからは人気があった。友だちが来ていると必ず    部屋をノックして「やぁ~~」というのが常だった。

またそれが受けていた。初対面の友達とは必ず写真を撮っていた。笑い声がよく聞こえてきた。

それを息子は疎ましがらず、「うちのきよっさん」と言って紹介していた。

こんな事があった。

今年の5月、サンフランシスコに向かう機内の会話。

「ねぇ、この間、Kちゃん何度も、おじちゃん何時頃帰りますかって聞いてきたけど、何だったの?」

Kちゃんとは息子の仕事のスタッフの一人。

「あぁ、昨年彼らがサンフランシスコの撮影に行く時、旅費を貸したんだよ。都合がついた時に1万円ずつ返してくれたらいいからという事でね。それで、この間の夜、お金を持ってきてくれたんだよ」

「えー知らなかった。昨年の6月でしょ? まだ残金あるの?」

「うん、この間が第1回目の返済だったんだよ」 「うそー!ちょっと人が良すぎない?ご両親と住んでいるのに。。。。」 「まぁ いいじゃないか」


あれから数日間をサンフランで過ごし、ハワイに向かう飛行機の中の会話

「良かった。本当に行ってよかった。連れて来てくれてありがとう。昨年の彼らも様々な事を胸に刻んだんでしょうね」

「そうなんだよ。僕はね、Kちゃんに、23歳のKちゃんに行って欲しかったんだよ。                      60過ぎたKちゃんじゃなく」

親がいるのにとか、お金を貯めてから行くべきだとか、返済は最優先にとか・・・

そういう事ではないらしい。

足は長い方じゃないけれど、足長おじさんに見えたっけ。


今は誰もが気軽に海外に行く時代。しかし、彼は本当の「旅すること」を知って欲しいのだと思った。

息子のHPのコラムにこんな事を書いていた。

この間父親が22歳の時にヨーロッパから祖父あてに書いた手紙を読む機会がありました。
親父が幼少からの夢であったヨーロッパ一周を実現させた時の話。
今では信じられないが、当時は往復で40万弱、、
カレーが御馳走という貧しい家庭に育ちながらも、こつこつと金を貯めて旅に出た親父。

各国で手にしたポストカードに書かれた文字は携帯やパソコンでデジタル化されたメールに慣れ親しんでいる俺にはすごく新鮮で、リアリティーに満ちてた。

手紙の内容は『元気にしている』とか、『イギリスは思っていたよりゴミや乞食が多くてイメージと違った』とか、
『ウイーンは物価が高い』、『西ドイツのフランクフルトでライン川を下ってスイスに入った』、『コペンハーゲンの美しさに感動した』、
『スペインはとても貧しく人々は痩せこけた土地にトウモロコシを植えて細々と生活している』等々。

俺にはブラウン管でみる、なんとか滞在記なんか比べ物にならんくらい伝わるものがあった。
その手紙の内容は金の匂いのする茶番でもなけりゃ、芸能人がブログで能書きたれるロケ日記みたいなもんでもない。
それは生身でその土地に訪れ、文化に触れ合い、言葉の壁に苦労し生活した記録なのだ


カレーの下りは あららと笑ったが、私は読んでとても嬉しかった。

子どもが大人になると親とは無力かも知れない。しかし、力になれる時もある。


のぶちんの葬儀から戻った息子と私たちは数時間、のぶちんの話をした。

「短い生涯かも知れないけど、のぶちんは、26年の彼の人生を生き切ったんだ。そう思うよ」

この夫の言葉に息子は大粒の涙を流していた。そして私も。


我家には仏壇はないけれど、夫の父、私の両親、姪の有季子の写真の前には、お花とお香とお水が供えてあります。

息子がお水を汲んで、写真に語りかけていた。

「のぶちんが、そっち行ったからよろしくね」


家族とはいいものだ。人生とはいいものだ。竹内まりやが歌っている。                                                「毎日がスペシャル~♪」という歌があるけど、私もそう思いたい。

何にもなくても、「スペシャル」。 ブログは、人生って素晴らしいと思える感動の心を持ち続けたいという思いを込めていました。 これが本当の最後の記事になりました。

長々と読んで頂きありがとうございました。

Runko 走子 


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